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​ピラティスの歴史を振り返る #1/4

「健全な体と心に情熱を燃やした男」

Joseph Hubertus Pilates (1880-1967)

ドイツ語発音に基づけば「ヨーゼフ・フベルトゥス・ピラータス」でしょうか。日本では英語発音と混ぜて「ジョセフ・ピラティス」と表記されることが多いです。Letters from the Founderでは数回にわたり、ジョセフ・ピラティスにまつわるお話を綴っていきます。ピラティスに関する話は真偽不明なものも含め諸説あるため、私がアメリカで様々な指導者から聞いた中でほぼ共通するものをまとめています。

虚弱体質の克服

ジョセフ・H・ピラティスは、1880年にドイツ・ドュッセルドルフ近郊で生まれました。幼少の頃は病弱で、くる病や喘息、リュウマチ熱に苦しんだそうです。当時は自然療法医だった母親の影響もあり自分の力で病気を治し、体操選手だった父親への憧れで強くて元気な体になることに夢中になりました。

しかし、医学の知識があったわけではなく、すべてが独学。ジョセフ・ピラティスは、ボクシングやレスリング、器械体操など、パワーと筋力を重視する西洋的な鍛え方だけではなく、ヨガや禅、武道など、心身を鍛える東洋の伝統的な方法も高く評価して学んだことが知られています。そして、今で言うところの解剖学や生理学も吸収していきました。

ジョセフ・ピラティスは、西洋と東洋の叡智を融合し、オリジナルのエクササイズ法を生み出し、心と体を鍛えていきます。やがて病気を克服し、器械体操、スキー、ボクシング、スキンダイビングなどをマスターしたそうです。解剖のデッサンモデルとして、その磨きのかかった体を披露したこともあります。

彼は体操選手を目指してトレーニングを行い、後に「サーカス団」のパフォーマーとしてのキャリアにつながります。

​19世紀終わりから20世紀初頭にかけては、筋肉質な男性と女性は憧れの対象ではなく、変わり者と捉えられた時代。ピラティスも例外ではなく、あくまで「サーカス芸」とみなされたのです。

ピラティス・エクササイズの誕生

1912年。32歳の時にイギリスに移ります。ここでは、護身術のインストラクターやサーカス団のメンバーとして働きました。

第一次世界大戦が勃発した1914年、ジョセフ・ピラティスはドイツのサーカス団とともにイングランドを巡業していましたが、「敵国の人間」として他のドイツ人とともに捕らわれ、ランカスターという町に勾留されます。不自由な生活を強いられ暇を持て余したこともあり、彼は独自の運動プログラムの理論や方法を他の拘留者や戦争による負傷者に教授するようになります。

​マット・ワーク(マットピラティス)の誕生です。

2024/08/01

Nausicaä Pilates

Founder

​申景植

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