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ピラティスの歴史 #5/5
 

​ショッキングな出来事

1996年、アメリカのピラティス スタジオであるPILATES社の代表「ショーン・ギャラガー」は、アメリカ合衆国特許商標庁に「PILATES」を商標登録しました。そして、自分以外の指導者が「PILATES(ピラティス)」ということばを無許可で使用してはならないとする法的手続きを取ります。

 

そのため「PILATES(ピラティス)」ということばの使用が制限され、インストラクターたちがピラティスを説明する際には「Pilates-based」や「Pilates Inspired」など、「ジョセフ・ピラティスが開発したメソッドに基づいたエクササイズ」というような、非常に回りくどい言い方をしなければならなかったのです。
 

そればかりか「PILATES(ピラティス)」ということばを使用したい場合は、ショーン・ギャラガーに使用料を毎年支払わなければなりませんでした。

 

ピラティスマシンを数多く製造していたCurrent Concepts社(現 Balanced Body社)は、ショーン・ギャラガーの要求を拒み、商標使用料の支払いもしなければ、「ピラティス」ということばの使用を控えることもしませんでした。そのためショーン・ギャラガーはCurrent Concepts社と、その代表「ケン・エンデルマン」を商標権侵害で訴えます。

訴えられたケン・エンデルマンは誰かが立ち上がらなくてはならないと、ピラティス界を背負って訴訟に臨みました。その後、賛同者が増え、集団訴訟へと発展します。

​裁判の行方とその後

裁判は4年間にもおよび、ついに商標登録は無効であるとの判決がおります。こうして「PILATES(ピラティス)」が一般名称として認められると、ピラティス・メソッドは爆発的な広まりをみせ、世界中にピラティス団体が発足し、指導者養成コースの開催と共に、一般にも広く浸透していきました。

 
この訴訟がきっかけとなり、裁判が終わった2000年にはピラティス・メソッドが正しい形で継承されていくことを目的とする非営利組織『Pilates Method Alliance(PMA ピラティス・メソッド・アライアンス)』が発足します。

 

PMAはピラティス指導者の国際的な資格、教育基準を設定しており、世界中の様々なピラティス団体や流派が所属し、ジョセフ・ピラティスの素晴らしい功績を広めようと活動しています。

 

今では世界で約1700万人もの人々が心と体の健康のために日常的に実践するピラティス。

 

すべてはジョセフ・ピラティスという「健全な体と心」に情熱を燃やした、ひとりの体の弱かった男から始まったのです。

若かりし頃のジョセフピラティス
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