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ピラティスの歴史 #4/5
コントロロジーの継承、そして世界へ
ジョセフ・ピラティスの死後、スタジオは妻クララと弟子の「ロマーナ・クリザノウスカ」が引き継ぎ、運営を続けました。ジョセフ・ピラティスが直々に指導した愛弟子は生涯でほんの一握りと言われています。
ジョセフ・ピラティスは遺言を残しておらず、彼の功績を残すための継承ラインを指定していなかったため、弟子たちがそれぞれ独立し、ジョセフ・ピラティスから引き継いだ「哲学」を伝え続けました。彼らは後に「ピラティス・エルダー(ピラティスから直接指導を受けた第一世代の指導者)」と呼ばれる存在になります。
ジョセフ・ピラティスが考案した「コントロロジー」はアメリカ全土の数カ所のジムで静かに続けられ、支持者の多くは、柔軟で強靭な肉体を保つ必要のあったダンサーたちでした。
コントロロジーから『ピラティス』へ
エルダーのひとり「ロン・フレッチャー」は、モダンダンスの第一人者マーサ・グラハムに師事し振付師としても活躍しました。ダンサー時代に膝を痛めたことがきっかけで、1948年にジョセフ・ピラティスのもとで指導を受けます。
ジョセフ・ピラティスの死後はクララの元で学び、彼もまた「フレッチャーワーク」という独自のスタイルを作り上げます。1971年、ビバリーヒルズに立ち上げたスタジオがハリウッドで話題になったことをきっかけに「コントロロジー」は「ピラティス」としてメディアに多く取り上げられ、アメリカ国内に広がっていきました。

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