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ピラティスの歴史 #3/5
 

​ニューヨークでの開花と大発展

​ジョセフ・ピラティスはすぐに、ニューヨーク・シティ・バレエの「ジョージ・バランシン」、モダンダンスの開拓者のひとり「マーサ・グラハム」と仕事をするようになります。2人は、バレエ団員が怪我をするたびに、リハビリをさせるためジョセフ・ピラティスのもとに団員たちを送るようにしたそうです。そしていつしか、リハビリよりも怪我の予防のための指導を頼むようになりました。

 

ジョセフ・ピラティスの評判はダンサーだけでなく、アスリートや一般の市民にも広く知られるようになり、その噂は次第にハリウッドにもおよび、「キャサリン・ヘプバーン」や「ローレンス・オリヴィエ」といったスターたちも顧客に加わりました。

全ての人が生涯健康であるために

1934年、ジョセフ・ピラティスは初めての著書となる、『Your Health』を出版します。著書の中で彼は自身のメソッドを『Contorology(コントロロジー)』と名付け、バランスの取れた体とはどういうものかを記し、フィットネスに関する理論と原則について述べています。「コントロロジー」は、体の細部に意識を集中させ筋肉をコントロールし、深い呼吸と共に動くことで背骨を支えるのに役立つ深層の筋肉を鍛え、動きの中で心と体をつなげる革新的なメソッドでした。

 

ジョセフ・ピラティスは、現代人の様々な病気が姿勢の悪さや浅い呼吸が原因となっていると考え、全ての人が生涯の健康のために「コントロロジーを行うべきだ」と信じていたのです。


1945年に出版した2冊目の著書『Return to Life Through Contrology』では、「コントロロジー」の理論と、自らの写真によるエクササイズ(movement)の解説を載せます。この頃、彼は「コントロロジー」は人類を変えられると確信しており、医学の世界や学校教育への導入を目指して日々熱心に宣伝活動をしていたものの、医療資格を持たない彼に対し、医師や病院の対応は悪く、医療にピラティスが取り入れられるのは彼の死後何年も経過してからになります。

 

クライアントへの指導を続けながら熱心に研究を重ね、数多くの器具を考案したジョセフ・ピラティスは、多くのエピソードを残し、1967年10月9日にその生涯を閉じました。

ニューヨークにあるピラティスユニバーサルジム
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