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ピラティスの歴史 #2/5
 

きっかけは収容所と猫

​終戦も近くなると、ジョセフ・ピラティスはマン島という小さな島にある収容所に移監されます。ここでケア・テーカーとなり、戦争負傷者や病に侵された患者の世話をしました。

 

ジョセフ・ピラティスのことさらユニークなところは、動物の動きの観察に没頭したことです。ある日、暇つぶしに島の痩せこけた猫たちがネズミや鳥を追いかけているのを眺めていた彼は、そのエネルギーと敏捷性に驚嘆したそうです。それは、マン島に収容されている人々の身体的、精神的状態とは大きくかけ離れたものでした。

 

彼は猫の動きを研究し、頻繁なストレッチが猫たちに活力を与えていると考えました。そして、人の筋肉を伸ばすための一連の運動を考案し、収容所にあった病院のベッドを利用して、荒削りながらも運動器具を作り上げました。

 

出来上がった器具を自身の体で試し、その結果に満足したジョセフ・ピラティスはその後も椅子や寝台など使えるものを利用して、たくさんのリハビリ器具を発明し、それらを使った運動で収容者たちの回復や健康に役立ててきました。

 

現在のピラティス専用器具は、ジョセフ・ピラティスが当時設計したものと大きな差はありません。バネの張力、手や足を保持するストラップ、背中、首、肩のサポートは現在でも重視されています。

 

1918年にスペイン風邪(悪性のインフルエンザ)が大流行し、マン島に及んだ時も、収容者たちの多くがこの病に倒れましたが、ジョセフ・ピラティスの エクササイズを行なっていた者は誰一人病気になることはなかったそうです。エクササイズが体の免疫機能を高めたからだと考えられています。

​終戦、そして

1919年、マン島の収容所から解放されたジョセフ・ピラティスは、収容所での功績から終戦後はイギリス軍のエリート部隊を、1920年代になって故郷のドイツに帰国した後は、役人からの依頼によりドイツ軍とドイツ警察に運動を指導する立場となっていました。

 

しかし彼は、当時のドイツの政治的傾向を好まず、1926年にドイツを去ります。そしてアメリカ・ニューヨークを目指す船上で、後の3番目の妻となる保育士のクララ・ズーナーと出会うのでした。

 

2人が最初に落ち着いた先は、ニューヨーク8番街にあった建物の3階スペース。そのアパート兼ジムに、現在のリフォーマーやキャデラックの初期モデルを次々と設置しはじめます。その部屋のすぐ隣では、ニューヨークシティ・バレエ団が稽古を行なっていました。


ジョセフ・ピラティスは1929年、そのスタジオを「Pilates Universal Gymnasium」としてニューヨーク市の電話帳に掲載しました。

ジョセフピラティス夫妻
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